スローモーション

真夜中、ブティックに注文していた品を取りに行く。店は商品が全く飾られていない空っぽの空間だったが客で賑わっていた。長い豊かな黒髪の店員が近寄って来て、商品の準備が出来ていると云う。彼女は綺麗に梱包された品をわたしに手渡すと、にっこりと微笑んだ。

帰り道、わたしは古い城跡の、頂上広場にあるタクシー乗り場で空車を待っていた。長い人の列は城壁の淵にならって並び、ちょっと横を向くと崖下が覗かれた。さっきから体格のよい女が彼女の群青色のスーツケースでわたしの踵を強く小突いていた。わたしはこの意地の悪い小突きによって少しづつ城壁の淵の先へ先へと押し出され、遂にバランスを失った。スローモーションのように落ちて行くその間、わたしは打ちどころのことを考えた。

けれども、下に落ちたわたしは怪我も痛みも負っていなかった。ともあれわたしは、突き落とした女がまだ上から様子を伺っているのだろうと、瀕死の状態を装って暫らくそのまま突伏していた。やがて救急車が来ると、わたしの身体は隊員によって速やかに運び出された。

次の日わたしはいつも通りの朝を迎えていた。朝刊に昨夜の一件が載っていて、それを父親が見入っている。だが、家の誰もそれがわたしの身に起こった事とは思わない。ただ、テーブルを囲んでこの身近に起こった事件の話をする。(1/3/01)


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